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元正天皇 げんしょう・てんのう [げ]

680~748
天智天皇の第四皇女元明天皇(阿閇皇女、草壁皇子の妻、在位707~715)の皇女として生まれ、氷高内親王を名乗った。弟軽皇子(即位して「文武」在位=697~707)が早世したことから、その長子・首(おびと)皇子に皇位を継承させるべく即位した母・元明天皇のあとを受け、霊亀元年(715)九月に即位した。一般に飛鳥・平城初期の女帝は正統の男子に皇位を継承させるための中継ぎ(仲天皇)と理解されるが、この女帝は実権を握り、下級官吏の英才を抜擢して律令(養老律令)を定め(718)、按察使を設置して王族・貴族の専横や山川の独占を取り締まり(719)、田地開墾の「三世一身の法」を定めるなど親政を行った。『日本紀』の編纂はその一環である。首皇子に譲位してのちも太上天皇として実権を持ち、のちの院政の先駆をなした。
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