舎人親王 とねり・しんのう [と]
675~725
天武天皇の皇子で皇位に最も近い地位にあったが、天智系の女帝によって立太子を阻止され、皇族筆頭の地位に甘んじた。『日本紀』編纂を掌り養老四年(720)に完成させた。藤原不比等の没後、知太政官事として政治を切り盛りした。没するや太政大臣の位を贈られ、さらにのち実子の大炊王(淳仁天皇)が即位すると祟道尽敬皇帝の号を贈られている。
天武天皇の皇子で皇位に最も近い地位にあったが、天智系の女帝によって立太子を阻止され、皇族筆頭の地位に甘んじた。『日本紀』編纂を掌り養老四年(720)に完成させた。藤原不比等の没後、知太政官事として政治を切り盛りした。没するや太政大臣の位を贈られ、さらにのち実子の大炊王(淳仁天皇)が即位すると祟道尽敬皇帝の号を贈られている。
2009-11-04 10:41
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