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『王年代記』 [お]

宋・太宗の雍熈元年(984)、日本から藤原一族の奝然(ちようねん/937~1016)という東大寺の学僧が海を渡り、中国の宋王朝に朝貢した。そのとき献じた品々中に『王年代記』という書物がある。この『王年代記』こそ散逸して現存しない『日本書紀』系図の痕跡を伝えると考える向きもある。しかし漢字二文字の天皇名(漢風諡号)は、淡海三船(722~785)が定めたとされるほど後世の創作になるものであって、『書紀』本文には全く使用されていない。巻頭に表記されているのは後世の写本時の混入である。散逸したとされる『書紀』系図が漢風諡号で記述されていたとは考えられないから、『王年代記』が『書紀』系図写本であるとするのには困難がある。神代に登場する神々の名が『書紀』諸本と一致していないことも、その説を否定する根拠となる。
ただし『王年代記』には神武までの歴代が筑紫城に居していたなど独自の記事を含んでいる。そこで同書は平安中期にいたっても天皇系図は一定せず、諸種の異伝があったことを示す文献証拠と考えることができる。
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