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日本国の紀元 [に]

天皇家の初代・神武天皇が即位したのは、『書紀』によると「辛酉年春正月庚辰朔」すなわち1月1日であって、2月11日ではない。明治初年、政府が陰暦からグレオリオ暦に移行した際、水戸徳川家で『大日本史』を編集していた藤田一正という学者が「陰暦1月1日は太陽暦の2月11日に相当する」としたのが始まり。神武天皇の実在が否定されている現在、その即位を紀元前660年に求めること自体が意味をなさない。その根拠となっている『書紀』の記述の編者たちは、首皇子立太子の和銅七年(714)、7年後の「辛酉」を無事に切り抜けることが政治的な課題となった。すなわち中国の懺惟説では、「辛酉」の年に、地上を支配する皇帝に対して天帝の命(天命)が下ることになっていた。それまでの治績が非と裁定されば別の王権に地上を支配する命が下る。そこで『書紀』編者たちは、一巡前の辛酉年=661年に革命が起きてしまっていれば、天命は覆らない、と考えた。『書紀』は斉明天皇七年(661)紀に天命が革まったことを示す兆しを挿入し、そこから21元(一元60年)+60年=1,320年さかのぼった紀元前660年に神武天皇即位を設定した。神武即位の年代設定は、『日本書記』にとって現実の政治的課題への対応という意味合いが強かった。
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