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オイルショック [お]

1973年10月第4次中東戦争をきっかけに石油危機が発生し、石油の価格が2か月で約4倍に値上がりした。これにより日本は経済的な打撃を受け、一時的なパニックによってトイレットペーパーや洗剤が店頭から姿を消す騒ぎとなった。また企業は新規採用を一斉に手控えたが、すでに新卒者採用が終わったあとだったため内定取消が多発した。
石油危機を契機に、政府は石油備蓄を強化するとともに、代替エネルギーの開発や省エネルギー技術の研究に力を入れ始めた。1980年には背広を半袖にした「省エネルック」が売り出されたりした。
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奥村 明 おくむら・はる [お]

⇒平塚らいてう
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小栗忠順 おぐり・ただまさ [お]

1827~1868
新潟奉行・小栗忠高の子。幼名は「順太」、通称「上野介」。外国奉行、勘定奉行、町奉行、軍艦奉行などを歴任した。直参旗本きっての英才として知られた。大政奉還とともに領地の上野国(群馬県)権田村に退き、農民にフランス式兵法を教えているうち、官軍に捕縛され斬首。生きてあれば首相の器とされる。
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おお牧場はみどり [お]

この歌の原曲がボヘミア民謡だということはあまり知られていない。中田羽後の訳詩があまりにも曲にマッチしていた。ちなみにこの歌はNHKテレビ第一放送『みんなのうた』の第一号だった。
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『王年代記』 [お]

宋・太宗の雍熈元年(984)、日本から藤原一族の奝然(ちようねん/937~1016)という東大寺の学僧が海を渡り、中国の宋王朝に朝貢した。そのとき献じた品々中に『王年代記』という書物がある。この『王年代記』こそ散逸して現存しない『日本書紀』系図の痕跡を伝えると考える向きもある。しかし漢字二文字の天皇名(漢風諡号)は、淡海三船(722~785)が定めたとされるほど後世の創作になるものであって、『書紀』本文には全く使用されていない。巻頭に表記されているのは後世の写本時の混入である。散逸したとされる『書紀』系図が漢風諡号で記述されていたとは考えられないから、『王年代記』が『書紀』系図写本であるとするのには困難がある。神代に登場する神々の名が『書紀』諸本と一致していないことも、その説を否定する根拠となる。
ただし『王年代記』には神武までの歴代が筑紫城に居していたなど独自の記事を含んでいる。そこで同書は平安中期にいたっても天皇系図は一定せず、諸種の異伝があったことを示す文献証拠と考えることができる。
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首皇子 おびとのみこ [お]

700~756
聖武天皇。文武天皇の皇子に生まれ、和銅七年(714)立太子ののち、養老六年(723)に即位する予定だったが、妃・光明子の父・藤原不比等と伯母・元明天皇の死(720、721)が重なったため、神亀元年(724)に即位した。

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