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塩原又策 しおばら・またさく [し]

1877~1955
長野県で生まれ横浜で育った。横浜に本社を置いた大谷嘉兵衛の日本製茶会社に勤め、のち大谷と共同出資した横浜絹物会社で取締役支配人をしていたとき、高峰譲吉と懇意になった。1902年、大阪に三共合資会社を設立し1913年株式会社に改組して高峰を社長に招聘した。近代製薬業の基礎を作った人物とされる。
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しずけさや 岩にしみいる 蝉の声 [し]

 芭蕉の原句は
   山寺や石にしみつく蝉の聲
 だった。
 のち、芭蕉は奥の細道行に同行した曾良が日記に書きとどめた自作の句を推敲して、「山寺や」を「閑けさや」に、「岩にしみつく」を「岩にしみいる」に代えた。
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湿舌 しつぜつ [し]

気象観測システムがカバーできない局地的で水分を大量に含んだ雨雲の群。“台湾坊主”だけでなく、大量の湿気を含んだ太平洋高気圧の突出部が梅雨前線に接触したとき、次から次に舌雨を起こす雲が発生する。2004年7月に新潟、福井に大きな被害をもたらした集中豪雨も舌雨だった。
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聖武天皇 しょうむ・てんのう [し]

首皇子
天皇としての諡号。
「聖武」の名が知られるが『続日本紀』などによると「勝宝感神聖武皇帝」が正しい。藤原四兄弟が裳瘡(もがさ=天然痘)で相次いで没したことをきっかけに仏教に帰依し全国に国分寺、平城京に総国分寺として東大寺を建立した。仏教興隆を軸に天平文化が花開いたが、一方で国の疲弊を招いた。天平十二年(740)から5年間、難波、伊勢、美濃、近江などを転々とした事情は古代史上の謎とされる。
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諸葛亮 しょかつ・りょう [し]

181~234
字「孔明」。蜀の劉備に仕え呉の孫権と結び魏と対抗した。蜀は険しい山に囲まれ国は貧しく兵は少なかったが、亮の手腕でよく耐えることができた。「三顧の礼」「泣いて馬稷を斬る」「死せる孔明、生ける仲達を走らす」などの言葉で知られる。
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司 馬遷 しば・せん [し]

前145?~前86(前80説もある)
前漢武帝のとき父・談が太史令(史書を司る)に任じられ、夏・殷から漢までの通史を描こうとした。しかし完成させないまま没したので遷が業を継ぎ、前90ごろ『史記』を上梓した。遷が著わした130巻のうち武帝紀は破棄され他者の作で埋められ、他の巻も後世の筆が入っている。匈奴に捕らえられた将軍李稜を弁護し宮刑に処せられた。

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