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カステーリア=アラゴン連合王国 [か]

西暦711年にイベリア半島に上陸したイスラム=アラブ勢力がここに王国を築き、ローマ=キリスト教国とピレネー山脈で境とした。イスラム=アラブ王国は分裂を重ね計25の小国に分かれたが、そのうちキリスト教国家だったカステーリア王国の王女イザベルとアラゴン王国の王子フェルナンドが婚姻してそれぞれが王位を継承した。ここにカステーリア=アラゴン連合王国が成立した。1479年のことだった。
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咸臨丸 かんりんまる [か]

19世紀中期の木造機帆(蒸気機関と帆を併用)船。日本の艦船として初めて太平洋を横断した。
排水量は600トン、長さ約49メートル、幅約7メートル、機関の馬力は100馬力だった。32ポンド砲12門を装備し、平均速力は毎時6ノット(約11キロメートル)とされる。安政四年(1857)オランダのカンデルク社で建造され「ヤーパン」号と命名された。日本の徳川幕府からの注文だったためである。カンデルク社は、オランダ海軍戦艦「バリー」の同型艦として「ヤーパン」を建造し、1857年9月に長崎に回航ののち日本名「咸臨」が定まった。
太平洋往復の快挙ののち、慶応四年(1867)の8月19日、咸臨は榎本武揚率いる幕府艦隊の輸送船として江戸湾を脱出した。房総沖で嵐に遭い、同航の蟠竜丸とともに漂流して清水港へ入った。蟠竜丸は修復して出港したが、咸臨は嵐でマストを折ったため航行不能の状態だった。
 9月18日、維新政府の軍艦「富士山丸」「武蔵丸」「飛竜丸」が咸臨を攻撃した。咸臨丸は修理のため武器を陸揚げしていた。これがために戦うことができず、白旗を上げて降伏の意志を示したが、官軍はこれを無視して多くの乗員を殺害した。その犠牲者の遺体を手厚く葬ったのは「清水の次郎長」の異名で知られる任侠・山本長五郎だった。
 咸臨丸は維新政府で大蔵省所管となり、1869年(明治二)に回漕業・木村萬平に譲渡され、しばらく北海道の物産輸送に活躍したが、1871年9月19日、小樽に向かう途中で座礁し、翌20日破砕した。

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片岡直温 かたおか・なおはる [か]

1859~1934
高知県に生まれ、まず寺の小僧となり、1880年に兄直輝(1856~1927、海軍大主計ののち日本銀行大阪支店長を経て大阪瓦斯社長)を頼って上京した。内務省に入り滋賀県警察部長となったが、1889年、弘世太郎と共同で日本生命保険を設立した。のち社長兼任のまま衆院議員となり、若槻礼次郎内閣で蔵相に就任したが、震災手形の処理をめぐる野党との答弁が昭和金融恐慌のきっかけを作った。

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金子利八 [か]

1925年、統計会計機械装置や金銭登録機などの事務機械を紹介する『事務管理』を出版した。
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金森家 [か]

江戸中期、岩手県の一関に栄えた大地主で、江戸・大阪の文人と交流があった。磐井橋のたもとに2軒あり、いずれに芭蕉が宿泊したかは定かでない。金森家は芭蕉が二晩宿泊したことに由来し、屋敷の内に「二夜庵」を建てたと伝えられる。一関市には現在も地主町の名が残っている。
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河合曾良 かわい・そら [か]

1649~1710
本名は岩波庄右衛門正字のち河合惣五郎を名乗った。信濃国(長野県)諏訪に生まれ伊勢長島藩に仕えた。のち江戸に出て芭蕉の門に入り、江戸における芭蕉の身の回りの世話係を務めた。奥州行脚に同行を許され、のちの芭蕉研究に資する貴重な資料を多く残した。句集『雪まろげ』がある。
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『漢書・後漢書・三国志列伝選』 [か]

本多済編著。1963年、平凡社。

漢書・後漢書・三国志列伝選.jpg


タグ:序叙 書籍
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『漢書』 [か]

高祖劉邦に始まる漢帝国を描いた史書であって、全百巻で成る。
編者は班固で、後漢第三代章帝の建初年間(78~83)に完成したとされる。しかし班固が獄死していったんは散逸した。妹の班昭(曹大家)が兄から預かっていた草稿をもとに、儒者の馬統とともに再度編纂した。
初代高祖から平帝にいたる前漢12代213年間の出来事、人物、社会・風俗、文化、地誌などを総覧した大著であるために、上梓するだけで5年を要した。帝位を継承した王朝が前王朝の事績を評すことの始まりとなり、かつ正史の原型となった。

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河田小龍 かわだ・しょうりゅう [か]

文政7年(1824)10月25日~明治31年(1898)12月19日 享年76歳
土佐藩の絵師。
絵師を業とするかたわら蘭学に秀で、溶鉱炉や万国公法の知識を備えていた。嘉永五(1852)年、11年間のアメリカ生活を終えて日本に帰ったばかりのジョン万次郎から、様々な見聞を聞き取って『漂巽紀略』を著した。この門下から坂本龍馬、近藤長次郎、長岡謙吉、新宮馬之助、岩崎弥太郎などが出た。

http://www006.upp.so-net.ne.jp/e_meijiishin/jinbutsu/kawadakoryuu/kawadakoryuu.htm
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